「事件と保護:西入間警察署、鳩山町役場、東松山警察署」は、現実に起きた出来事である。この事件の背景には、日常生活の中での不可解な嫌がらせや、その対応に対する組織の動きが複雑に絡んでいる。本記事では、この出来事の詳細な流れと、その中で浮き彫りになった課題や疑問について詳しく掘り下げていく。
事件の経緯と発生
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- 事件が発生するまでの背景
- 車への接近と犯人との対峙
- 車の急発進と負傷
事件が発生するまでの背景
2023年2月9日(木)16:00頃
事件の2~3ヶ月前から、西入間警察署および鳩山町役場からの嫌がらせは頂点に達していた。その日、私は森林公園で野鳥を撮影する予定だったが、嫌がらせを避けるため、高坂駅から駐車場までタクシーを利用することを考えていた。しかし、駅に到着すると早朝であり、タクシーはまだいなかったため、徒歩で駐車場に向かうことにした。通常、高坂駅西口から駅の高架を渡り東口の駐車場に向かうルートを利用していたが、この日は西口から南へ進み、線路を渡る別のルートを選んだ。すると、これまで頻繁に感じていた嫌がらせが、その日は一切なかった。その後、森林公園で野鳥撮影をし、帰りに予定していた駐車場でタクシーを呼び駅に戻ることを考えたが、行きの際に嫌がらせがなかったことから、帰りも別のルートを試してみようと思い、高坂駅に向かうことにした。その途中、普段では考えられない場所に、犯人の車が停まっているのを発見した。この車は、過去に3回嫌がらせをしてきており、今回が4回目だった。嫌がらせをしてくる車は毎回異なっていたが、この車だけは複数回現れていて、私にとっては印象的な車であった。警察はすでに信用できない状態だった。2回目、3回目の嫌がらせの際に110番通報をしたが不可思議な対応をされ、また通報しても警察は来なかった。また、通報によりGPSを特定され、西入間警察署および鳩山町役場を経由し、私の位置情報が犯人に共有されていた。こうした経緯から、車から離れた位置からの110番通報は意味がない状態であった。

車への接近と犯人との対峙
私は犯人の車を遠くから写真に収めた後、

車の急発進と負傷
私はやっとの思いで左手を抜き出したが、すでにそのフル加速の車のスピードで引っ張られていたので、足はついていくことができず、そのまま左の腰からアスファルトに叩きつけられた。同時に左手をアスファルトの上についたことによって、手首を捻挫した。私はそのままアスファルトの上で2回、3回とゴロゴロと転がり、転がりながら犯人の車の行く方向を見ていたが、すぐに右折して東上線の高架橋の下のトンネルに犯人の車は消えていった。ちなみに後でわかることだが、この東上線の高架橋の下のトンネルというのは非常に狭く、コンクリートで固められており、そのまま私が手を抜くことができなかった場合、最悪の事態も起こっていたと私は考えている。なんとか道路の脇に這いながらたどり着き、そこで110番通報、119番通報をした。しばらくすると刑事が現れた。さらに救急車も到着した。私はまず担架に乗せられて救急車の中に運ばれた。腰を強打し、負傷してまともに歩くことができない。腰からも手のひらからも出血がある。そして、事故のショックで私は過呼吸のような状態になっていて、非常に呼吸が苦しくなっていた。救急車に乗ってから、私はしばらく横になり、呼吸を整えようとした。そこに刑事が乗り込んできて、私の耳元で大きな声で叫ぶ「ちょっと話を聞かせてくれ」と盛んに言っている。呼吸が苦しい中、耳元で大きな声で叫ばれたので非常に苦痛であった。私は「非常にパニック状態で呼吸も苦しいから、ちょっと待ってくれ」と言うのだが、刑事は聞いてくれない。そこで、私は救急隊員に言って、「今苦しくてしょうがないから、この人が話しかけるのをやめさせてください」と言った。その後、呼吸も落ち着き、実況見分をするというから、足を引きずりながら刑事に支えられて実況見分を行った。そして、警察署で話を聞かせてもらいたいというので、パトカーの後部座席に乗せられ、東松山警察署へ向かった。

警察署にて
– 東松山警察署に着いた時の違和感
– 刑事の事情聴取と誘導尋問
– 保護の決定とその理由
東松山警察署に着いた時の違和感
パトカーの後部座席から東松山警察署の玄関が見えた。東松山警察署の玄関に立っていた警察官は、通常の簡素な制服の警察官とは異なり、非常に華美な制服を着ていた。その制服は、現代的な実務向けのものというよりも、特別な場面や儀式で用いるような威厳を感じさせるデザインだった。また、しっかりと制帽をかぶり、背筋を伸ばして立っている姿は一目で強い印象を与えるものであった。このような装いが非常に目立っていたため、入口に立つ姿が強く印象に残っている。この警察官は私が徴収室で、刑事から事情聴取を受けている間、頻繁に徴収室の外をうろうろと歩いていたことが、私にはとても気になっていた。刑事が来るまでの間、制服を着た警察官2人が目の前に座り、軽く話をしてきたが、その様子からは単に間を持たせる以上の目的を感じた。

刑事の事情聴取と誘導尋問
I刑事は、事件に至る経緯や私の行動について問いただしながら、私が犯人の車に手を入れたことを強く非難してきた。その刑事は「もし逆の立場で、知らない人が車の窓から手を入れてきたら、あなたはどうしますか?」と繰り返し尋ね、私が犯人の行動を責める理由を遮るような態度だった。私は「110番通報します」と答えたが、刑事はその答えを無視するかのように、まっさらな状況で考えるべきだと主張してきた。しかし、私は過去に受けた嫌がらせの背景を無視することなどできないと反論し、犯人の行動こそ問題だと訴え続けた。この刑事の態度は終始威圧的で、まるで私が被害者ではなく問題を起こした張本人であるかのように感じさせるものだった。さらに、犯人が元警察OBである可能性が示唆される状況下で、警察全体が事件を小さく扱おうとしている印象を受けた。I刑事は、私に被害届を出させず、そのまま帰らせたい意図が見え隠れしていた。S刑事は最初は私の話を傾聴していた。犯人の接近が4度目であったことを説明するなど、話をしていると相槌を打ったり、逆に簡単な質問をしてきたり、その場では共感を示しているようにも感じた。途中からなぜそのようになったのか覚えていないが、刑事は立ち上がり、私の話を聞いていた。話が進むうち、私はなぜ嫌がらせをされていたかを説明せざるを得ない状況になった。また、親との問題を話していく中で、西入間警察署や鳩山町役場の嫌がらせがエスカレートすることにより、私が両親に危害を加える可能性があるという会話となった。

保護の決定とその理由
やがて、家庭の民事の問題や私が自ら犯人の運転する車に手を入れたことが理由に、私は保護された。私は保護というものを全く知らなかったため、自分がどういう状況に置かれ、何が起ころうとしてるのか全くわからず、ただ混乱していた。そして2、3人に脇を固められ。東松山警察署の2階に連れて行かれた。狭い入り口から中に入ると、右と左にとても狭い部屋が並んでおり、そこは警察署の留置所であることがすぐにわかった。その一番奥まで連れて行かれ、やや広い部屋に案内された。

保護室にて
– 保護室
– 所持品検査と厳しい制約
– 保護室の環境と苦痛
保護室
入り口のドアを通ると、その部屋は一般的な留置スペースの5倍ほどの広さがあり、通常の留置所と比べればかなり広く感じられた。この広い部屋の中は狭いスペースと広いスペースに仕切られており、その仕切りの壁は鉄の網目状の構造が内部に見え、その表面が硬化プラスチックでコーティングされていて中の様子が透けて見える作りになっていた。メインのドアは開放されたままで、その外には警察官がパイプ椅子に座り、24時間体制で監視している様子が窺えた。このような構造の中で、私はさらに奥のスペースに通されることになった。部屋の中にはトイレがついていて、一応目隠しのようなものが一方にだけしてあった。また、天井に近いところに10cm ほどの隙間があり、それは部屋全体に渡ってるように感じた。部屋の天井近くには10センチほどの隙間があり、そこから冷たい風が入り込んでいた。2月の寒さと大雪の影響で部屋の中はひんやりとしており、不潔そうに感じる薄い水色の毛布を体に掛けて寒さをしのぐしかなかった。警察官に寒さを訴えると、「廊下には暖房を入れているので、いずれ暖かい空気が届く」と説明されたが、すぐに寒さが和らぐことはなかった。この隙間は外部の音も伝え、東武東上線の電車の終電や始発の時間を知る手がかりにもなった。また、後で気づいたことだが、硬質プラスチックの一面以外の三面は柔らかい緑色のコンクリートのような素材で覆われていた。その壁のちょうど人の頭が触れる高さには、何か液体が流れたような跡が複数残されていた。それを見ると、精神的に錯乱した人が頭を打ち付けて出血したり、汗や体液が付着していたのかもしれないと想像した。また、硬質プラスチックの表面にはひびが入っている箇所もあり、過去の激しい行動が残した痕跡なのではないかと感じた。

所持品検査と厳しい制約
そんな部屋に私は入れられたのだが、所持品検査では財布の中身、現金の1枚1枚までが細かく確認された。 私のほとんどが注目され、特に防寒具であるダウンジャケットやパーカーは『首を絞める危険性がある』との理由で収束された。靴下も含めて、着ているもの多くが奪われ、寒しのぐ手段は薄汚れた毛布1枚だけだった。手持ち物検査が終わった後、さらに説明されたのは「中止なら食事が出るが、保護では食事は出ない」ということだった。警察で提供されるどんな水かわからないものを口にするのは気にせず、水を飲むことすらなかった。部屋の外では、警察の留置室とは異なり、警察官が絶えず外に座って私を監視していた。私は最初、「薬がないと眠れない」などの訴えを試みたが、すぐにそれが無駄だと気づいた。これ以上体力を消耗するべきではないと考え、それ以上は何も言わないことにした。

保護室の環境と苦痛
部屋中には小便のような臭いが漂い、与えられた毛布は薄く、不潔さを感じさせるものだった。私は寒さをしのぐため、仕方なくその毛布を体に羽織った。夜中になり、女性が1人現れた。東松山保健所の職員の方だった。しかし、硬質プラスチックの仕切りに遮られて話がうまく伝わらず、さらにその女性の声も小さく、何を言っているのかはっきりと理解できなかった。私は既に疲れ切っており、それまでに警察署でどうしてこういうことになったのかを何度も説明してきたが、結局誰にも信用してもらえなかった。西入間警察署や鳩山町役場、看護ステーション森林の看護師たちにも同様の話をしてきたが、誰一人として私の話を受け入れてはくれなかった。そして、この保健所の女性とも思うようにやり取りができなかったことで、私はもう誰にも自分の話をするのはやめようと心に決めた。その後か、朝になってからかは記憶が曖昧だが、再び東松山保健所の職員が現れた。その人は「話の前後関係がわからないので、もう一度詳しく話してほしい」と言った。しかし、私は「もう話すつもりはない」と言い切った。それでも、なぜかこの人なら理解してくれるのではないかという直感が働き、「これで本当に最後です」と告げて、全てを話した。私は明け方まで起きていた。時間を知る手がかりは電車の音だった。夜中、電車の音が途絶えたことで「終電が終わったのだな」と感じた。そしてしばらくすると、再び電車の音が聞こえてきた。「これが始発なのだな」と思いながら、その音を聞いていた。そうしているうちに、薬を飲むことができなかったため、眠れない状況が続いたものの、おそらく1回30分ほどの睡眠を2回取ることができた。朝、大雪が降り積もっていた中、雪特有の静けさと音の通りやすさがあり、少し離れた刑事課からの声がはっきりと私の耳に届いてきた。声の主は刑事か警察官らしき人物で、その会話は当時の主治医と思われる相手に向けて話されているように感じられた。後々、犯人が不起訴となる理由に関係する重要なやり取りであった。刑事か警察官らしき人物は当時の主治医と思われる相手に対し、「いやー、車の横で転んだだけですから、大丈夫です」と語っていたのだ。しかし、実際には私は犯人の車に10メートル以上引きずられ、叩き落とされた挙句、怪我を負っていた。とても「大丈夫」と言えるような状況ではなかった。出勤時間だったのであろうか。昨日、事情聴取を担当した2人目のS刑事が現れた。そのS刑事は、私に対しておどけたように「どうしちゃったんだろう?静かになっちゃった」と冷やかした。それに対して見張りとして座っていた女性警察官が「シーッ」と小さくいさめた。

移送とその後の経緯
- 措置入院の判断と対応
- 解放
- 帰宅
措置入院の判断と対応
朝、保健所の職員が2人現れ、刑事2名とともに、私は留置所や保護室と廊下の逆方向にある非常ドアから外へと案内された。非常ドアを開けると一面の大雪が広がっており、早朝に刑事課の刑事が話していた小声が保護室までよく聞こえていた理由が、この雪の影響だったと気づいた。私は非常階段を足を引きずりながら転ばないよう慎重に降り、タクシーに乗せられた。タクシーに乗せられ、向かった先は当時の主治医のもとだった。その話を聞いた瞬間、私は「これで助かった」と思った。なぜなら、当時の主治医とは良好な人間関係が築けていると感じていたからだ。診療所に到着すると、当時の主治医が現れた。私は「先生の顔が見れて良かった」と一瞬思ったが、その期待はすぐに打ち砕かれた。なんと当時の主治医は私に措置入院を言い渡したのだ。その際の言葉は、「あなた、ちょっと神経質だから、措置入院行ってらっしゃいよ」という軽い調子のもので、まるで温泉にでも行くような感覚で最悪の内容を伝えてきた。そして2つ目の病院に行った。行ったこともない土地。行ったこともない病院。そして会ったこともない医師。その医師は言った。「この警察の資料によると、あなたが一方的に悪いことになっているけれど、あなたはそれで納得しているのか?」 。私は驚いた。私は保護が何なのか分かっていなかった。私は私自身あくまで被害者であると思っていたので、その医師の言葉は驚愕の事実であった。その医師は尋ねた。「もし措置入院をするとしたら、あなたはどう思いますか?」私は答えた。「もしどうしてもそういう話であるならば、私は受け入れざるを得ません。」その医師は主治医が措置入院が必要だと言っているのであれば、その意見に逆らうことはできない。私も措置入院が必要だと思うと言った。すると、何かの拍子でその医師が私と付き添いの刑事で待ってるように言った。つまり、医師と東松山保健所の職員の方が2人きりになるということだ。1分たち、再び刑事とともに中に呼ばれた。医師は言った。

解放
「あなたは措置入院をする必要はありません。」
刑事は慌てふためき、「先生責任問題になりますよ!」「責任問題になりますよ!」としつこく詰め寄っていた。私は預けられていた荷物を全て返された。刑事と保健所の職員はタクシーで帰る準備をしていた。そこで私は保健所の職員に「東松山まで一緒に乗せて行ってもらえませんか」とお願いた。しかし、保健所の職員から「刑事に『保健所の職員は乗せられるが、あなたは乗せられない』と言われている」と伝えられた。刑事は後で問題になることを避けるためだけにそうしたのだろう。バス停を見つけ、私をそのバス停が見えるところまで連れて行き、「あそこにバス停があるから、何時何時にバスが来る」とだけ言った。
帰宅
タクシーはいなくなり、私は大雪の中、雪に濡れながらバスを待っていた。その土地は後に調べてみると、熊谷と小川町の中間に位置する場所だった。私は小川町方面のバスに乗り込んだが、同じバス停から異なる経路のバスが運行していたようで、結果として全く予期しない場所へ運ばれてしまった。混乱の中、バスの運転手に確認すると、「一度熊谷方面に戻る必要がある」とのことだった。そのような行き違いを2度、3度と繰り返しながら、最終的に何とか小川町にたどり着くことができた。そして、小川町から高坂駅へ。高坂駅から鳩山ニュータウンへ。バス停で降りて、足元は雪で滑りやすい状態。さらに坂道で体も怪我をしていて痛い。なんとか足を引きずりながら家にたどり着いた。

まとめ
この一連の事件は、被害者が繰り返される嫌がらせや不可解な警察対応に悩まされ、最終的に直接対峙することを余儀なくされたものである。犯人との対峙の結果、車の急発進による負傷を負いながらも、その場で救急対応を受けることとなった。しかし、東松山警察署での事情聴取やその後の保護に至る対応は、被害者をさらに混乱させるものであった。
保護室での過酷な環境、そして措置入院の判断を経て、最終的に入院の必要はないとされ解放されたが、その過程での対応は精神的にも肉体的にも被害者を追い詰めるものであった。帰宅の道中では、大雪や不慣れな土地での移動に苦労し、体の痛みと疲労を抱えながらもようやく自宅へ帰り着くことができた。
この出来事は、被害者としての立場が軽視され、むしろ加害者のように扱われる理不尽な状況を浮き彫りにしている。同時に、警察や関係機関の対応のあり方について再考を促すものであり、被害者が求める本来の保護や支援とは何かを問いかけるものである。

